当記事は、弊社が過去に開催したオンラインセミナー「組織改善Week」より西岡徹人氏の『働きやすさと働きがいを両立する組織改革のすすめ』を書き起こしたアーカイブレポートの再編集です。
(当アーカイブは、該当セミナーを4回に分けてお届けしています。なお、講師の先生方の肩書などについては講演当時のものです。)

西岡氏:
この風土改革は、弊社では2012年から始まりました。
まず何を実践したかと申しますと、色々な本を読み、最終的にある経営者の方の著書に行き着きました。その方の本に「トイレ掃除をするのがいい」とあったので、トイレ掃除を”あほほど”毎日やりました。「素手でやるといい」ともあったので素手で毎日掃除をしていたら、社員さんが来て、そんなこと僕したこともないので「社長どうしたんですか」「社長気持ち悪いですよ」とか、もう色々なことを言われました。この時も非常に悲痛な思いで一所懸命に頑張っていたのを思い出します。
さらに、「ありがとうの朝礼」というものも行いました。「お互いに承認し合うことがいいですよ」と言われたので、それまでは朝礼という文化すらなかったんですけれども、朝礼を始めました。どういう朝礼かと申しますと、例えばダイバーシティ推進室に神田さんという方がいるのですが、「神田さんが昨日の会議で議事録をしっかりととってくれたので、次のやりとりも有効にできるようになった。ありがとうね」と言って、ニコっと笑いかけました。ですが、少し前までは朝礼すらしていなかったですし「あれしろ、これしろ」と言っていたので、社員さんは目配せして「この人頭おかしくなったんちゃうんか」という感じで、目をしばしばさせて、非常にやりにくい状況でした。本当に「(おそらく)もう会社が倒産するから、最後のご奉公でこんなことしているんや」とかボロボロに言われましたね。

しかし、私はそういった言葉を真に受けず、「社長の器以上に組織はならない」という言葉を胸に、必死に会社を変えたいと思いながら頑張っていきました。

しかしながら、社員の反応として何が起こったかというと、不平不満、反発、拒否反応です。
「改革なんてやめてください」と散々言われました。「こんなことして何か意味があるんですか?」などと言われたこともあります。その結果、私は入院をしてしまいました。脳梗塞です。椎骨動脈解離による小脳梗塞・後頭葉脳梗塞ということでした。私の風土改革は失敗に終わったというお話です。
「それが何なんや」と思われるかもしれませんが、もともとものすごく風土の悪かった会社を変えていこう、変えていこうと思って必死に頑張ったけれどなかなか変わらなかった、というお話をさせていただきました。たまに「うちの会社もそうや」といってくださる方がいらっしゃったり、風土改革を言い出したくても言えない方、会社を変えること、働きやすさや働きがいをつくっていくことを諦めている方などもいらっしゃると思いますので、そういった方々に対してのメッセージもこめて、風土改革の失敗の話をさせていただきました。

では次に、女性活躍のお話に入っていきます。

脳梗塞になってしまって、自分一人ではもう改革はできないのだと思い、正社員登用したばかりの寺田さんという女性に「ちょっと力を貸して欲しい、助けてください」と、初めてうちの会社の社員にお願いをしました。そして、彼女に私のビジョンを語りました。しかし、寺田さんは「社員さんと社員さんの家族を幸せにする」と言ってるけれど「本当かな。社長、そうはいってもな…」みたいな顔でずっと見られました。そこで、私は寺田さんに何をしたいかを聞いたら「残業が多いのでノー残業デーを実施してみたいです」と言われたので、そういうことをやっていこうとか、カンガルー出勤をやろうなどさまざまなことを計画し、実行していきました。

そしてできたのが、「チーム夢子」でした。弊社の女性社員、男性社員の奥さま、協力業者の奥さまを集めて結成しました。
このチーム夢子は、社内の課題を解決したり、社会の課題を解決していくチームです。まず初代リーダーになったのが、先ほどお話しした寺田さんでした。
このチームが作られた経緯ですが、寺田さんと私で「ノー残業デーをやろう」と話をしてから、寺田さんが実際に「本日はノー残業デーです」と言って電気をパチッと消したところ、朝6時から現場に出て、帰社してから見積もりをし、夜中2時まで働いている社員たちが「この見積もりは誰がするんや?寺田さん、お前ができへんのやったらさっさと電気をつけろ!」と怒鳴ったそうです。
その出来事の後、寺田さんは泣きながら私に電話をかけてきて、「社長、もう私はできません。どうすればいいのか分からないので、もう明日から会社を休ませてください」と、そんな話をされました。普段から寺田さんはほかにもう一人いた女性社員にも相談をしたり、男性社員の奥さまにも連絡をしたりとコミュニケーションが上手かったみたいで、「寺田さんがそこまで悩んでいるなら、みんなでチームを作ろう」と、このチームが出来上がったということです。
チームができて、まず何をしたかと申しますと、先ほど失敗したノー残業デーに日に、男性社員の奥さまのほうから「今日はノー残業デーだって聞いているから、早く帰ってきてね」と一言言ってもらったりしたことによって、少しずつ状況が変わっていきました。
また、これも大変恥ずかしい話なんですけれども、当時はほぼ男性社員だったので、女性社員も同じトイレを使ってもらっていました。しかし女性社員は、男女兼用であることが嫌だということを言い出せなかったらしいんですね。それがチーム夢子をつくったおかげで言い出すことができるようになりました。他にも「キッズルームを作りたい」と話してくれました。
上のスライドの右側の記事を見ていただきますと、「育児と仕事を同じ空間で」とあります。彼女たちが願ったキッズスペースは、彼女たちに企画書を書いてきてもらい、お互いに合意形成を図ったうえで作っていきました。これが「認知・承認・権限委譲」です。弊社が風土改革で失敗し、女性活躍推進で成功していったひとつの事例でございます。

この取り組みによって、彼女たちは少しずつ「会社が私たちの思うことをやってもらえるんやったら、私たちももっと会社に対して協力していこう」という意識変化が起こり、その次に彼女たちが考えてくれた「働くママのプロジェクト」を発足したり、育児ママの声を取り入れた家をつくったりと、今まで私たちがターゲットにしていなかったお客さま層までも、会社の中に巻き込んでくれました。そして、多くの住宅を販売することになりました。

彼女たちは、会社の環境も変えてくれ、ビジネスに参画して成功体験を積み重ねていったことで「もっと私たちはできるんじゃないか」と少しずつ会社レベルから変わっていきました。どう変わったかと申しますと、岐阜市から評価されるレベルにしようということで、岐阜市の男女共同参画優良事業所の受賞を目指し、彼女たちは動き始めました。具体的には、今まで有給休暇の取得や残業などの規定は弊社・三承工業内で決めたことしかしていなかったんですけれど、これを岐阜市のレベルに合わせることによって、組織として少し強くなっていきました。

まずは岐阜市の男女共同参画優良事業所となったところで、次は岐阜県レベルも目指しました。個人のレベルを上げるだけではなくて、組織で成長していくということを彼女たちは考えてくれて、岐阜県子育て支援エクセレント企業の認定も受けさせていただきました。岐阜市と岐阜県では有給休暇の取得や残業の規定に関してレベルが違ったのですけれども、彼女たちは少しずつ会社の体制を整えていってくれました。

そのおかげで、先ほどお話しした寺田さんは岐阜県や岐阜市、さまざまな企業に呼ばれてたくさんの講演をするようになりました。弊社はSNSをたくさん発信していますが、寺田さんがロールモデルになって、SNSを見て「三承工業に来たい」というお子さんを連れた女性が多く来てくださるようになりました。
また、彼女がロールモデルとなって岐阜市や岐阜県で講演をしているという話を聞いたほかの都道府県、例えば山梨県や長崎県など全国から呼ばれるようになっていて、現在も47都道府県各地で講演をしています。

また、寺田さんはさらに2019年、女性活躍支援のための社団法人WEPという団体をつくりました。彼女はもともと人前で話すことが得意ではない普通の事務員さんだったんですけれども、団体をつくってSDGs達成に向けて女性活躍推進フォーラムというものを行い、現在は一般社団法人の代表を務めています。
本日、私は冒頭で「全ての皆様に感謝の心で愛情と想いやりのある人・物創り」とお話しさせていただきました。人づくりを特に大切にしているとお話ししましたが、この寺田さんがそれを体現してくれたことを非常にありがたく思っています。

彼女は、現在でもこのスライドに「子連れ出勤 親の負担減」と出ているように、さまざまな全国紙に取り上げていただいています。また、男女格差のない職場にしようということで、色々なことを発信していってくれているところでございます。

さらに最近の話ですけれど、政府のSDGs推進本部運営支援業務を弊社が受託させていただきまして、現在では国のお仕事もさせていただいています。スライドの左にある2011年から、2020年、22年と、実に約11年かかりましたけれども、寺田さんは大きく成長されたということでございます。
ここまで女性活躍の話をいたしましたが、私だけでお話をしてもなかなか伝わりにくいかと思います。そこで動画がございますので、こちらもご覧いただきたいと思います。
【動画】(※講演ではここから映像が流されました。)
やっと正社員になった頃に、赤ちゃんができたんですけれども、そのときに社長のほうから呼ばれまして「赤ちゃんできたみたいだね。この後どうするの?会社は?」と聞いていただきました。その時に、「休みを取りづらいため、このまま継続して仕事をさせてもらうのは難しい」ということをお伝えしたら、「辞める方法をなくして、続けられる方法で何かいいアイデアがないだろうか。子どもさんも一緒に来てそのまま会社で働いてくれる、何かやり方はないか」ということをご相談いただきました。
求人募集をかけたときにも、「子どもさんと一緒に仕事ができますよ」と打ち出すと、たくさんご応募いただけました。当時、女性は2名しかいなかったのですが、今、60名以上いる社員の半分以上が女性です。そういった社内の環境を発信していましたら、皆さんが私の後を継いで、子どもさんと一緒に会社に来て、楽しく働いてくれるようになっていきました。
私の役割としては、これから頑張っていく若い方たちに道を作る、自分の姿を見せていくことだと思っています。だからこれからもどんどんどんどん若い方たちを育成させていただいて、これからずっとその先も、笑顔で働いていけるような環境を作って、若い子たちもずっと一緒に楽しくいられるような、女性が活躍できる世の中を作っていきたいと思っています。



西岡氏:
私は社長として風土改革に失敗したんですけれども、彼女が女性活躍推進に取り組んでくれたおかけで会社が大きく変わっていきましたし、女性のしなやかな感性で社内が明るく変わっていきました。それを今お伝えさせていただきました。
この女性活躍推進についておさらいさせていただきます。
もともと社内レベルでチーム夢子をつくったのですが、このレベルだけではもっとよい会社になっていかない、働きがいがある会社になっていかないと彼女たちが考えてくれて、岐阜市レベルを目指そうということで岐阜市男女共同参画優良事業者の賞を受賞しました。さらに、岐阜市レベルだけではなくて岐阜県のレベルを目指そうと少しずつ視座視点を変えていって、「自分たちが社会の課題を解決していく」「社内の課題を解決していく」という意識がものすごく高まっていきました。
そして彼女たちは、全国レベルを目指して、厚生労働省の女性活躍推進認定企業「えるぼし」を取得したり、世界レベルとして国連のホームページに載せていただいたりもしています。我々のビジネスモデルや女性活躍推進の取り組みというものが、世に出るようになっているということで、少しずつ視座をあげていったというのが、女性活躍推進が成功したもとだったのではないかと私は思っています。
ではここで、女性活躍推進の話はいったん終わります。
続きは、「働きやすさと働きがいを両立する組織改革のすすめ」【3】(西岡徹人氏セミナーアーカイブ)をご覧ください。




















