“やりがいをもって働く”「ワークエンゲージメント」をキーワードに、マインドセットと労働生産性との関係が昨今注目されています。
現代に暮らす一般的な社会人の生活において露道時間は大きな割合を占める労働は、生活の糧を得るだけではなく人生をどう組み立てるか・ アイデンティティーといった個人のメンタルの根幹にかかわるところまで影響を及ぼす重要なファクターです。
職場の誰しもが「自身の業務を肯定的に捉え、主体性をもって取り組む」ことができれば…
更にそれが、従業員満足度も生産性も高まることにつながるのであれば…
従事する仕事そのものが職場で働く従業員それぞれプラスとなるために、仕事との向き合い方を個別に再定義する「ジョブ・クラフティング」の取り組みが今注目されています。
ジョブ・クラフティングに通じる、ピーター・ドラッカーが著書に記した「3人の石工」の物語
ある人が工事現場の脇を通りかかり、汗を流して働いている数人の石工(いしく)に、「何をしているのか」と問いかけました。
一人目の人は、こう答えました。「これで食べている」と。
二人目は、手を休めずに答えました。「国で一番腕のいい石工の仕事をしている」と。
最後の一人は、目を輝かせて答えました。「教会を建てている」と。
上田惇生 監修・佐藤等 編著『実践するドラッカー〔思考編〕』
上記3人の職人との対話は、経営学者ピーター・ドラッカーが著書『現代の経営』等に記した中世ヨーロッパ時代のとある逸話をもとに、『実践するドラッカー〔思考編〕』の中で紹介しているエピソードです。
1人目は賃金の獲得が労働することの動機であることを説明し、2人目は自身の高い職能にプライドを持って働いているようです。3人目は現在従事する仕事の目的(ミッション)にやりがいを感じながら、主体的に取り組んでいるように受け取れます。同書ではドラッカーの『現代の経営』には書かれていないことを断った上で、4人目の職人を登場させて以下のように語らせています。
この工事現場の一番奥には、こう答える石工がいました。「この地域の心の拠り所をつくっている」と。
上田惇生 監修・佐藤等 編著『実践するドラッカー〔思考編〕』
職場に集う従業員の価値観や働く動機はさまざま、誰が正しく誰が間違っているかを明確に規定することはできません。個人の考え方を尊重し、多様な働き方が求められる昨今においては尚のことです。
少なくとも、望まない内容・条件で業務に従事する方はその職場に長く勤めることは難しいでしょう。公的にも私的にも目的が見えないまま作業に従事させていても、より良い成果や職場にプラスとなるような影響が生まれるとは考えにくく、モチベーションを高めることは期待できません。
ジョブ・クラフティングの目指すところは、誰もが主体的に業務に取り組むことができる態度変容を生み出すことにあり、その態度変容が組織・チームのミッション達成やゴールに向かうための方向性を近づけることにあります。
ネガティブケアからポジティブクラフトへ ――
ポジティブメンタルヘルスの効果
「捉え方のポジティブな効果」を引き出す、従業員が仕事のやりがいを持てるよう主体的に捉え直すジョブクラフティングの理論は、エイミー・レズネスキー(米国イエール大学教授)とジェーン・E・ダットン(ミシガン大学名誉教授)によって提唱されました。
これまでの日本企業におけるメンタルヘルスの取り組みは、「不調や疾患の低減・改善」に焦点を当てたものが主流でした。ストレスチェックが法制化されて以来「従業員の置かれた環境を把握し、対策する」サイクルには一定の知見が溜まってきたものの、本来の目的である予防という観点からみれば「ストレスでメンタルを壊してしまった事後の対策中心では効果が薄い」という課題がありました。
「労働と個人のポジティブな関係性を構築する」ことに着目したポジティブメンタルヘルスやジョブ・クラフティングの観点は、メンタルヘルス不調予防を促進する新しい可能性として、日本でも2016年ごろから関心が寄せられています。
このポジティブメンタルヘルスやジョブ・クラフティングが労働の場にもたらす影響について、主に次の4つがあると推測されます。
- 仕事と個人の関係性をポジティブにする
ワークエンゲージメントの観点からも、仕事と個人のメンタルとが相互にポジティブな関係性にあることは労働者の生活自体を良い方向に導くものと考えられます。「ポジティブな関係性を見いだす」ジョブ・クラフティングは、メンタルヘルスの不調が問題化するよりももっと手前の段階で、不調につながるストレスを予防する施策となり得ます。
- 仕事のやりがいや技能の活用をフォローする
ジョブ・クラフティングの影響には、日々行う業務や自己に対する認識をよりポジティブにすることも含まれます。
職場環境の中でも改善が難しい要素である「業務内容」に対する不満へのアプローチは、従業員各人の活性化だけでなく新しいステージに立つシニアや新入社員の離職防止など組織全体としてプラスの効果が期待できます。
- 改善活動への関わり合いや取り組みを広げる、専門化できる
創意工夫を持って業務をよりよくしていこうとする姿勢は、各人内にナレッジを形成するためスタッフ一人ひとりが「自分の業務の専門家化」し、よりよい環境・よい業務が生まれる可能性が高まります。ジョブ・クラフティングの一環に含まれる「仕事のやり方の工夫」には、昨今の働き方改革に求められている要素とも相互する部分があるので改善を続けていくことでワークライフバランスや個人にとどまらない改善に期待が持てます。
評価に対するニーズや価値観の複雑化、成果の達成に必要なハードルの高まりに合わせて、「自発性・主体性」をどう引き出すかの一種の答えとしてより重要になっています。
個人の内面からやりがい(仕事)を広げるジョブ・クラフティング
ジョブ・クラフティングは、「主体的なポジティブ行動」を促すための取り組み・考え方です。
これに対してジョブ・クラフティングは、マネジャーのもとで働いている人もそうでない人も、自ら仕事をクラフト、つまり、「労働する方が主体的に仕事にかかわる」ことが主題です。従業員が内発的なモチベーションを高めるための手法として、1970年代から使われ始めた「ジョブ・デザイン」の考え方と比較してみましょう。
「ジョブ・デザイン」との違いは?
ジョブ・デザインの基本は、”部下のモチベーションを高める” 業務配分を行う、いわばマネジャーからトップダウン方式で行われる取り組みでした。端的に言えば、ジョブ・デザインは、従業員がやりがいを持って取り組めるよう、経営者があらかじめ仕事を設計し割り振っていくプロセスを示します。
ジョブ・クラフティングもジョブ・デザインも、モチベーションを引き出すことを目的にした理論という点は共通しています。ですが、ジョブ・デザインは「あくまでも与えられた仕事をこなす受身の存在」に従業員を位置づけ、ジョブ・クラフティングでは従業員を「仕事を作り出し、やりがいをもって自発的に取り組む」ようにします。それぞれの視点が全く異なっているのです。
モチベーションを高め、やりがいを見つけることを目的とするジョブ・クラフティングは、もっと従業員自身を「内発的かつポジティブな存在」として捉えることが一番大きな違いといえるでしょう。
仕事とやりがいの谷間を「見方」で越える
ジョブ・クラフティングによって、一人ひとりがモチベーションを高め、ポジティブな姿勢で働くことは、すなわちワークエンゲージメントの向上や組織の成長、メンタル環境の改善向上につながると考えられます。ですが、「仕事の意義」や「やりがい」といった言葉に身構えてしまう人もいるでしょう。
特に末端の事務職や工場作業といった「組織の中で細分化された業務」では、その業務の目的や効果を実感しにくく、現実の作業と仕事の意義の間に実感の落差が大きいとモチベーションを保ちにくい傾向にあります。
ジョブ・クラフティングの主旨である「仕事のとらえ方を変える」こと自体は、誰でも取り組みやすい身近な工夫です。小さな成功が積み重なって、もっと改善できる点や工夫する幅が広がり、仕事で実現したいことがおぼろげでも見えてくる「ジョブ・クラフティング」の流れの底にあるのは、私たちが “職場環境改善” と呼ぶ地道な活動に通ずるものがあるのではないでしょうか。
「何のための仕事なのか」を経営と労働者双方が考え続ける。
ジョブ・クラフティングを浸透させる要点は、そうした積み重ねの先にあるのかもしれません。
〔参考文献・関連リンク〕
- Sakuraya A, Shimazu A, Imamura K, Kawakami N. Effects of a Job Crafting Intervention Program on Work Performance Among Japanese Employees: An Analysis of Secondary Outcomes of a Randomized Controlled Trial. J Occup Environ Med 2022; 64 (4): e202-e210 doi: 10.1097/JOM.0000000000002480
- 上田惇生 監修・佐藤等 編著『実践するドラッカー〔思考編〕』(ダイヤモンド社 2010年)
- 高尾義明『「ジョブ・クラフティング」で始めよう 働きがい改革・自分発!』
(日本生産性本部 生産性労働情報センター 2021年)
- 高尾義明・森永雄太『ジョブ・クラフティング:仕事の自律的再創造に向けた理論的・実践的アプローチ』
(白桃書房 2023年)
初出:2023年05月30日 |